山ねずみが歩く
『 中 山 道 』
《9日目》2016年04月26日
和田宿 ~(旧和田峠)~(諏訪大社・下社春宮)
~ 下諏訪宿
道中行程
行 程 民宿 → 落合橋 → 和田宿 → 東餅屋 →(旧和田峠)→ 西餅屋 → 浪人塚 →(下社春宮)→ 下諏訪宿 → 下諏訪駅
距離・時間 28.8km / 10時間50分

 2泊3日を掛けて沓掛宿から最大の難所和田峠を越えて下諏訪宿まで旅程である。今日は最終日、和田宿から和田峠を越えて下諏訪宿までの旅である。


『 下和田付近 』

 快晴の肌寒く感じる朝、『民宿みや』を今日の出発点の落合橋に向かう。4~5年前まで和田宿にも旅館があったが廃業してしまい、下諏訪まで5kmほど余分に歩かなくてならない。

 大門川に架かる落合橋を渡り、国道を横断して旧国道142号(旧中山道)を遥か彼方の和田峠に向う。和田宿までは平坦な道で、ところどころに道祖神や神社など見ながら歩を進める。
「是より和田宿」と刻まれている和田宿碑を見つけると和田宿は直ぐそこである。

『地蔵尊』は、寛政十年(1798)造立の「いぼ地蔵」である。子供の治してほしい所を小石でなで、その小石を地蔵に供えるとご利益がある。

遥か彼方、和田峠方面の山が望まれる!
今日の出発点 落合橋 [拡大表示]
鄙びたバス停
是より和田宿

《 六十九次之内二十八 和田宿 》

 「和田宿入口の碑」を過ぎに右手の道を行くと和田小学校の前に出て、追川に架かる橋を渡るといよいよ和田宿の中心部である。 本陣跡、脇本陣跡、高札場跡、問屋、旅籠など良く整備されていて、往時の面影が偲ばれる。

『和田宿』は、西に難所和田峠を控え大いに賑わった。文久元年(1861)三月十日の大火で宿並のおよそ三分の二にあたる百数件が焼失、 折から同年十一月の皇女和宮の通行を控え、本陣を始め宿並が急速復興された。
天保十四年の中山道宿村大概帳によれば、宿内家数は百二十六軒、うち本陣一、脇本陣二、問屋二、旅館二十八軒で宿内人口は五百二十二人であった。

和田峠(歌川広重画)
和田峠 [拡大表示]

『本陣跡』は、歴代長井家が勤めた、大火後の再建で遺構を残し(国指定史跡)、解体修復し公開されている。客殿と門は上田市丸子町の寺に現存する。
『本陣跡の御入門』は、皇女和宮の為に造られた門である。本陣冠木門は武家様式、御入門は公家様式である。
『脇本陣』は、二軒あった脇本陣の内の一つで歴代翠川家が勤めた、大火後の再建で、現在の建物は御殿部分のみで、上段の間等の遺構や皇女和宮の草履を残っている。

和田宿八幡神社
和田宿の佇まい
和田宿の佇まい [拡大表示]
本陣跡の御入門
本陣跡の冠木門 [拡大表示]
和田宿脇本陣跡
茶屋 米屋鉄五郎

『 皇女和宮降嫁日程 』
十一月六日(十五日目)和田宿長井本陣に宿泊する。

『 水戸天狗党勢軌跡 』
水戸天狗勢追討の幕命を受けた松本藩は和田峠の東餅屋と西餅屋に布陣、天狗勢は戦いに備え雨の中をゆっくり進軍し、十一月十九日和田宿に宿陣した。

《 和田峠 》

 和田宿を過ぎ国道を横断、旧道に入り少し行くと再び国道142号(中山道)でる。強い日差しと大型トラックに悩まさせられながら、国道を和田峠口までひたすら歩くことになる。途中、旧唐沢村付近で古中山道の山道を歩き、再び国道に出る。

 国道を暫く行くとY字路に出て観音寺橋を渡ると和田峠口である。和田峠口「国史跡歴史の道中山道」の碑の傍で民宿で作ってもらったおにぎりを食べる。腹ごしらいもできたので、いよいよ難関和田峠へ登りである。
 思ってたよりなだらかの山道を接待茶屋跡まで登り、国道に合流すると接待茶屋である。茶屋の湧水でのどを潤し一息つく。
再び旧道に入り「広原の一里塚」を通り「東餅屋立場跡」にでる。ここから峠への最後の登りである、ビーナスラインを何回か横断して和田峠にたどり着く。

 和田峠頂上には御嶽山坐王大権現、本尊大日大聖不動明王、賽の河原地蔵が祀られ、昔の和田峠の面影を残している。

唐沢の一里塚跡
和田峠への道(国道に戻る)

『唐沢の一里塚跡』は、日本橋より五十一里、天保二年(1831)以前の街道の付け替えにより山中に取り残されたもの。
『和田峠口』は、「国史跡歴史の道中山道」碑や中山道解説がある、中山道最大の難所は和田峠であった、ことに厳冬期は難渋を極め人馬の遭難が絶えなかった。
『接待茶屋跡』は、茅葺屋根の永代人馬施行所が復元されている(国史跡)。十一月から三月までの間、旅人に粥と焚火、牛馬には桶一杯の煮麦を接待した。
『広原の一里塚』は、両塚が残る。日本橋より五十二里。
『東餅屋立場跡』は、難所和田峠を控え東餅屋村に五軒の茶屋があり名物の餅を商っていた。寛永年間(1624~43)より一軒に一人扶持(一日玄米五合)を幕府から与えら難渋する旅人の救助に当たった。 幕末には茶屋本陣が置かれ土屋氏が勤めた。

『和田峠』は、標高1531m、峠頂上には御嶽山坐王大権現、本尊大日大聖不動明王、賽の河原地蔵が祀られている。
木曽名所図会には「西坂ケワシ東坂ヤスラカナリ三月ノ末マデ雪アリテ寒シ」と著されている。明治9年紅葉橋新道が開通した為、役目を終え今は古峠の名が残る。

和田峠登山口
和田峠への旧道
広原の一里塚跡
和田峠への最後の登り
旧和田峠頂上
旧和田峠頂上 [拡大表示]
旧和田峠頂上

 しばらく休憩し後、いよいよ下諏訪宿までの長いくだり道(12km)が始まる。西餅屋立場跡の先までは国道と交差しながらの下る、登りの時より険しい山道である。

国道に出てからは、大型トラックに悩ませられながら、ひたすら下諏訪宿を目指す。 国道歩きも嫌気がさしたころ、旧道に入り、水戸天狗党の戦死者を祀った「浪人塚」「樋橋茶屋本陣跡」などを通り、「木落し坂」に辿り着く。

『西餅屋立場跡』は、茶屋本陣は小口家、茶屋の武居家、犬飼家、小松家があった。重湯のようにした粳米を氷点下の外気で自然乾燥させた「氷餅」が有名であった。藩界に位置したので時には穀留番所が置かれた。
『浪人塚』は、上洛する水戸天狗党を阻止する松本・高島藩との間で戦闘となり、戦死者をここ埋葬した。後に高島藩は塚を築いて菩提を弔った。墓標には当時水戸に照会して得た六柱の氏名が刻まれている。
『樋橋茶屋本陣跡』は、樋橋村は寛永十一年(1634)立場として開村し、茶屋本陣は小松家が代々勤めた。皇女和宮は茶屋本陣で休息している。

和田峠を下る
浪人塚「水戸天狗党」
浪人塚 [拡大表示]
樋橋茶屋本陣跡

『 水戸天狗党勢軌跡 』
元治元年(1864)十一月二十日、高島藩五百八十名と西餅屋から合流した松本藩三百五十名が樋橋に布陣した。連合軍は大木の橋頭堡を築き、大砲四門を据え臨戦態勢をとった。 一方武田耕雲斎率いる水戸天狗勢は騎馬二百騎、小荷駄五拾疋、大砲十五門、歩兵数百を合わせて千余名であった。
未の刻(午後三時)戦端が開かれたが、狭い峠道を下る天狗勢は圧倒的に不利。陽が傾いた頃、天狗勢の軍師山国兵部は香炉岩辺りから密かに二百名の軍勢を砥川の谷伝いに迂回させ、両藩の後方を突かせた。 これにより両藩は総崩れとなり、一斉に敗走。高島藩は四名、天狗勢は十余名の戦死者を出した。

 上から見る「木落し坂」はかなり急こう配の坂で御柱を落とす時の怖さが思いやられる。ここまで来れば下諏訪宿まではもう少しである。

『木落し坂』は、御柱祭は数えで七年(満六年)毎の虎年と申年(今年がその年である)に行われる諏訪大社の大祭。諏訪大社下社の春宮と秋宮に立てる御柱八本をこの坂から落とす神事が「木落し」と呼ばれる奇祭。
『諏訪大社下社春宮』は、天正十年(1582)信長の焼打ちで廃塵に帰す、現在の社殿は安永九年(1780)の再建で国重要文化財。

★『諏訪大社』についてはてくてく『甲州道中』を参照。

天下の木落し坂
恐々・・ 天下の「木落し坂」を覗く
天下の木落し坂 [拡大表示]
諏訪大社下社春宮鳥居
諏訪大社下社春宮 神楽殿
下社春宮 神楽殿 [拡大表示]
重要文化財 諏訪大社下社春宮本殿
下社春宮本殿 [拡大表示]

 「木落し坂」を上から見下ろし、一旦国道に出て再び旧道に戻る。黄昏時の「諏訪大社下社春宮」に参拝し、「岩波家本陣跡」「甲州道中中山道合流之碑」「諏訪訪大社下社秋宮」の鳥居前を通り、 新鶴本店で「塩羊羹」を買い、下諏訪駅に辿り着く。

《 六十九次之内二十九 下諏訪宿 》

『下諏訪宿』は、諏訪大社下社の門前町として古くから栄え、東に難所和田峠、西に塩尻峠として甲州道中の追分を控え、中山道唯一の温泉場として賑わった。
天保十四年の中山道宿村大概帳によれば、宿内家数は三百十五軒、うち本陣一、脇本陣一、旅籠四十軒で宿内人口は千三百四十五人であった。

下諏訪宿(歌川広重画)
下諏訪宿 [拡大表示]

『岩波家本陣跡』は、皇女和宮が宿泊、多くの遺構を残し、明治天皇下諏訪小休所の碑がある。

下諏訪宿 往時の面影が残る湯田坂下
下諏訪宿 往時の面影が残る湯田坂
下諏訪宿 湯田坂 [拡大表示]
下諏訪宿 岩波家本陣跡
下諏訪宿 旅籠まる屋と桔梗屋
下諏訪宿 『甲州道中・中山道合流之地』
「塩羊羹」で有名な新鶴本店

『 皇女和宮降嫁日程 』
十一月五日(十四日目)下諏訪宿岩波本陣に宿泊する。

『 水戸天狗党勢軌跡 』
樋橋の戦闘終了後一行は四ツ(午後十時)樋橋村に集結し、闇夜を進軍し、無人の下諏訪宿に入り、幹部は岩波本陣と来迎寺に分宿し、隊士は旅籠や民家に宿泊した。

 中山道最大の難所『和田峠』を無事に越え、長くて厳しい2泊3日の旅であった!
 あぁ~ くたびれた~ くたびれた~

民宿を7時10分に出発して中央本線下諏訪駅に18時に到着。所要時間10時間50分(休憩時間80分)、実歩行時間9時間30分、実歩行距離28.8km、歩速約3.03km/時である。



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