山ねずみが歩く
『 中 山 道 』
《13日目》2017年3月28日
福島宿 ~(木曽の桟跡)~ 上松宿
~(寝覚の床)
道中行程
行 程 木曽福島駅 →(木曽の桟跡)→ 上松宿 →(寝覚の床)→ 須原駅 = 塩尻駅(泊)
距離・時間 20.6km / 6時間20分

 「なごり雪」早春の木曽路、福島宿からの須原宿までの旅である。

 昨年秋以来の木曽路である。前日まで真冬を思わせる天気であったが、今日から2~3日天気が持ちそうなので旅に出かける・・・
 桜が開花した東京を後にして、中央線富士見駅付近の車窓から雪を頂いた甲斐駒ヶ岳が見える。2年前に歩いた「甲州道中」を思い出す。

 中央西線塩尻駅から奈良井駅まで間、前日降った雪で白くなっている。塩尻駅から「特急しなの」に乗り30分ほどで木曽福島に到着する。

車窓より甲斐駒ケ岳(富士見付近)
甲斐駒ケ岳 [拡大表示]

『木曽福島から上松まで』

 木曽福島駅は福島宿の中で一番高い所ある。駅前から木曽町役場裏手の細い道を下って塩渕にでる。塩渕の一里塚、石仏石塔群などを通り県道と合流する。この辺りから右手下に木曽川と変電所が見える。 再び県道と分かれ左に旧道を行く、旧道のトンネルが通行禁止のため右側を迂回して国道19号本橋バス停にでる。

『塩渕の由来』は、シオという地名は川の曲流部につけられることが多く塩渕も木曽川の曲流部にできた渕とすると地形的にあっている。
又、塩渕には次のような言い伝えが残っている。昔、中山道を馬の背中に塩を載せて運んできたところ、その馬が木曽川の渕に転落し塩をまいてしまったところから塩渕という地名がついたと伝えられている。

 本橋の信号を左折し国道と分かれて旧道に入る、暫らく行くと「御嶽山遥拝所」がある。現在、ここからは御嶽山を遥拝することができない。 幸運のことに数100m位い行ったところから、王滝川の奥に雪を頂いた御嶽山(3067m)が遥かに望むことができた。

『御嶽山遥拝所』は、中山道で御嶽山を遥拝できるのだ鳥居峠とここだけである。現在は前山があって御嶽山を見ることが出来ない。なぜ、ここに「御嶽山遥拝所」を設けたのか不思議である。

木曽福島駅・塩渕の由来
塩渕の変電所
塩渕の先で左に旧道入る
御嶽山遥拝所
雪を頂く御嶽山を遥拝
御嶽山を遥拝 [拡大表示]
旧道を行く

 御嶽山を遥拝した後、国道を右手に見て旧道を30分程行くと国道19号に合流する。ここが中山道の難所の一つ「木曽の桟」である。
国道上からは「木曽の桟跡」の面影は無い。木曽川に架かる鉄橋上から「木曽の桟」の石積みが見えるらしいが、残念なことに橋が修理中で見ることができなかった。

『木曽の桟跡』は、国道の下に石積みが保存されている。当初は岸壁に沿って丸太を組み、板を並べた桟であっが、正保四年(1647)旅人の松明の不始末で焼失してしまった。翌慶安元年(1648)尾張藩が石積みの桟を完成させた。この桟は中山道三大難所の一つで、木曽八景「桟の朝霧」の一つである。 芭蕉の句「桟や命をからむ蔦かづら」。
『賽の河原地蔵』は、木曽川の花崗岩の岩肌が三途の川手前の賽の河原に似ているところから、地蔵が祀られた。

木曽の桟跡
木曽の桟跡

《 六十九次之内三十八 上松宿 》

 「木曽の桟跡」から国道を1時間ほど歩き中央線のガードを潜り、暫らくして前方下に上松の町が見えてくる。
国道と別れ十王川橋を渡ると上松宿である。上松宿は明治以来の度重なる大火で焼失して昔の面影はない。
寂しい町並みを行くと上松駅前である。上松駅待合室でコンビニで買ったおにぎりを食べる。
一休みした後、旧道を上松小学校、材木役所陣屋跡などを通り「寝覚の床」を目指す。

『上松宿』は、木曽五木の集積地として発展し”ヒノキの里”と呼ばれる。尾張藩はこの地に材木役所を設置し、「木一本首ちとつ」といわれるはど厳しい管理、取り締まりが行われた。
宿場江戸口の十王橋から上町、本町、仲町、下町で構成されていたが、宿並は明治以来の度重なる大火で焼失し、上町だけが江戸の面影を残している。
天保十四年の中山道宿村大概帳によれば、宿内家数は三百六十二軒、うち本陣一、脇本陣一、旅籠三十五軒で宿内人口は二千四百八十二人であった。

上松宿(歌川広重画)
上松宿 [拡大表示]

『本町の一里塚跡』は、江戸日本橋より七十二里目。
『尾張藩直轄材木役所陣屋跡』は、寛文三年(1663)から四年にかけて尾張藩は木曽総山の検見を実施し、その大半が切られていることに驚き山村代官から山に関する一切の業務を取り上げ、この地に直轄の材木役所を設けた。

上松入口より上松宿を見下ろす
侘しい上松宿入口
中央西線上松駅
上松宿材木役所陣屋跡
上松宿庚申塔

《 寝覚の床 》

 上松宿を過ぎて旧道(県道266号)を暫く行くとの古びた旅館「越前屋」の前に出る。ここで旧道を離れて名勝「寝覚の床」を見学することにる。

 旅館と赤いポストの間の坂道を下ると「寝覚の床」である。坂を下り国道にでると「臨川寺」の山門である。拝観料を払い、さらに下り中央線のガードを潜ると「寝覚の床」は直ぐそこである。(旧道と寝覚の床との標高差80m程ある) 木曽川の浸食による花崗岩の渓谷、名所「寝覚の床」を見学する。再び今来た坂道を登り旧道まで引き返す。

 旧道に出て上松中学校の前を通り、石畳みの坂道を下り滑川橋を渡る。老人ホームの横を通り中央線のガードを潜ると国道19号である。国道を行くと左手中央線高架の奥に「小野の滝」である。 「小野の滝」を見て木曽川沿いの国道を荻原の一里塚跡に向かう。荻原を過ぎて一旦国道を離れ左手の旧道を歩く。

『旅館越前屋』は、現旅館、創業寛永元年(1624)名物寿命そば(蕎麦切り)の老舗、芭蕉や十辺舎一九そして島崎藤村が賞味している。
『寝覚の床』は、木曽川の浸食で奇岩が生じる、花崗岩の方状節理の典型例。中山道随一の名勝で木曽八景「寝覚の夜雨」に描かれ、国名勝史跡記念物。
『大 桂』は、「上松町天然記念物」根方には津島神社や南無阿弥陀仏名号碑がある。
『小野の滝』は、中央線の高架奥に木曽八景のひとつ小野の滝がある。細川幽斎の「老の木曽越」で有名になり、広重も北斎も描いた。
『荻原の一里塚跡』は、江戸日本橋より数えて七十三里目、碑の横には榎と紅葉の合体木がある。

県道266号より国道19号線
古い旅館「越前屋」
名勝「寝覚の床」入口
名 勝「寝覚の床」
名 勝「寝覚の床」 [拡大表示]
名 勝「寝覚の床」
名 勝「寝覚の床」 [拡大表示]
大 桂
大 桂 [拡大表示]
石畳の木曽古道
小野の滝

《 倉本から須原 》

 この旧道(くるみ坂)は木曽街道と木曽古道と重複して残る道で暫く歩いた後、再び国道にでる。左手に中央線を右手に木曽川を見ながらひたすら国道を倉本駅に向かって歩く。急に空が暗くなり雪が降って来たので焦ったが、15分ほどで止みほっとする。
当初の予定である倉本に着いた。普通列車を2時間も待たなくてはならない、思い切って須原駅まで5キロほど歩くことにする。
夕暮れ迫る木曽川沿いの国道を1時間20分ほどえっちらほっちら歩いてようやく須原駅に到着する。
 「 老いぼれの一人旅 ぐっと冷え込む待合室 」夕暮れの木曽路より・・・

木曽川と中央線
木曽川に架かる諸原橋
対岸の桃山水力発電所
対岸の桃山発電所 [拡大表示]
須原宿入口(左手が須原駅)
暮れゆく雪が残る木曽の山
中央西線須原駅 [拡大表示]

 晴れたり曇ったりの天気(日影は寒い)であったが、予定より一駅先の須原駅まで辿り着き、明日の行程が楽になった。30分程待って須原駅から今日の泊りの塩尻駅まで普通列車に乗る。

木曽福島駅を10時40分に出発して須原駅に17時00分に到着。所要時間6時間20分(休憩時間30分)、実歩行時間5時間50分、実歩行距離20.6km、歩速約3.53km/時である。



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