山ねずみが歩く
『 中 山 道 』
《16日目》2017年5月8日
中津川宿 ~ 大井宿
 
道中行程
行 程 中津川宿大井宿 → 恵那駅
 
距離・時間 11.4km / 3時間40分

 今日は中津川宿から大井宿まで美濃路を歩く旅である。

天気も良さそう、コンビニのおにぎりと味噌汁で朝食を済ませ早々にホテルをチェックアウトする。


《 六十九次之内四十五 中津川宿 》

 東西に走る旧中山道を四ッ川橋を渡り中津川宿の中心部に入る。「本陣跡」の向いには大きな構えの「中津川村庄屋跡」ある。 少し行くき左手に曲がる(升形の跡?)と「菓子川上屋」や「はざま酒造」などの商家が軒を連ねている。

『中津川宿』は、中津川から茶屋坂までの約1.1キロメートルにも及ぶ中津川宿のほぼ中央に、四ツ目川が流れている。 ほぼ平に見える中津川宿であるが、実は本陣のあたりはほんの少し高くなっており、万が一四ツ目川が決壊しても本陣は守られるようになっていた。
北に苗木城下、東に木曽の宿並を控え、物資の集散地として栄え、三と八の付く日に六斎市が立ち、東美濃の中心地として賑わった。

中津川宿(歌川広重画)
中津川宿 [拡大表示]

天保十四年の中山道宿村大概帳によれば、宿内家数は二百二十八軒、うち本陣一、脇本陣一、旅籠二十九軒で宿内人口は九百二十八人であった。

『本陣跡』は、市岡長右衛門が勤め問屋を兼ねた。
『中津川村大庄屋跡』は、七つに分かれた中津川村を総括した大庄屋、肥田九兵衛屋敷跡。
『菓子川上屋』は、特産の栗を使った栗きんとんが有名。街道に二軒の老舗がある。
『はざま酒造』は、銘酒「恵那山」の蔵元。

中津川宿の街並み
中津川宿本陣跡
栗菓子 川上屋
はざま酒造と中津川宿の宿並
はざま酒造 [拡大表示]
中津川

『 中津川会議 』
長州藩士桂小五郎は中津川宿の料亭「やけ山」に身を潜めた。文久二年(1862) 六月長州藩主毛利慶親は京に向かう途次、中津川宿本陣に到着すると、桂は藩主を説き、「公武合体」から「尊皇攘夷」に一変させた。

『 皇女和宮降嫁日程 』
十月二十九日(九日目)中津川宿岡本本陣に宿泊する。

『 水戸天狗党勢軌跡 』
落合宿で隊列を整えた水戸天狗勢は中津川宿に入り昼食を摂る。総大将武田耕雲斎、田丸稲之衛門、山国兵部、藤田小四郎の四人は市岡長右衛門本陣に入る。本陣当主は平田篤胤門下の国学者であり、同じ志を持つ同士として一同を篤くもてなした。 隊士たちには昼食の他に名物五平餅が振舞われ、田丸はこれに感謝し、甲冑の小袖を市岡に与えた。

《 上宿付近 》

 中津川に架かる橋を渡ると中津川宿の京口で高札場があった。しばらく行くと「津島神社山道社標」があり左手の坂道を登る、坂の頂上付近には「東山道坂本駅」があったらしい。
「上宿の一里塚跡」を通り平坦な道を暫らく行くと中津川インターの手前「嵐讃岐供養碑」にでる。インターの迂回路沿いに行くと田植えが終わったばかりの水田が見えてくる、この辺りが千旦林村である。
真っ直ぐ伸びる県道を暫く行くと「手差し道標」があり、左手の旧道(苗木恵那線)に入る。里山の道をのんびりと歩く。

『上宿の一里塚跡』は、江戸日本橋より八十五里、近くに「これより苗木道」と刻まれ道標を兼ねた双頭一身道祖神がある。
『嵐讃岐供養碑』は、嵐讃岐(あらしさぬき)は木曽家の有力武将の一人で、千旦林八幡宮の再建に尽力した。
『手差し道標』は、左手指差し「旧国道大井町ニ至ル」、右に指差し「新国道美乃坂本駅ニ至ル」。

津島神社山道社標
嵐讃岐供養碑
中平付近

《 茄子川村から大井宿への道 》

 旧道(苗木恵那線)を茄子川村「坂本立場」「篠原茶屋本陣跡」など通り「岡瀬沢」までの長い道をてくてくと歩く。
広久手坂、岡瀬沢を過ぎ、甚平坂の登る。坂の上は公園になっており、ここで休憩をとる。ここから大井宿までは下り道である。「甚平坂」から「関戸の一里塚跡」を通り「中央道」を跨ぐと「大井宿」である。

『坂本立場』は、千旦林村と茄子川村の境にあたり、古くは東山道の宿駅があった。
『篠原茶屋本陣跡』は、茄子川村は「間の宿」であった。篠原家は茄子川村の村方役人、尾張領の庄屋を兼ねた、皇女和宮や明治天皇もここで休息した。
『甚平坂』は、根津甚平が旅人を苦しめる怪鳥を追い、この坂で倒れた伝承がある。天気が良いときには展望台から木曽御嶽山を望むことが出来る。
『関戸の一里塚跡』は、江戸日本橋より八十七里目。

坂本立場付近(遠くに笠置山)
広久手坂付近
関戸の一里塚跡

《 六十九次之内四十六 大井宿 》

 「高札跡」「寺坂の石仏群」を通り明智電鉄のガードを潜ると大井宿(升形跡)に出る。本陣門だけを残す「林本陣跡」、豪壮な防火土塀の「大井村庄屋古屋家」など、多少昔の面影は残っている。
大井橋を渡り「恵那駅前」通りにでる。今日はここまでとする。

『大井宿』は、西に難所十三峠を控え、岩村街道、秋葉道、下街道と交差し、善光寺、伊勢神宮、熱田神宮への参拝客、尾張へ向かう商人や牛馬荷物の往来で賑わい、美濃十六宿中で最も繁栄した。 宿並は横町、本町、竪町、茶屋街、橋場の五町と六ヶ所の升形で構成された。
天保十四年の中山道宿村大概帳によれば、宿内家数は百十軒、うち本陣一、脇本陣一、旅籠四十一軒で宿内人口は四百六十六人であった。

大井宿(歌川広重画)
大井宿 [拡大表示]

『林本陣跡』は、本陣門を残している。老松が枯れ、高崎宿近くから類似の松を平成20年に移植した。
『宿役人の家』は、林家は上問屋を勤め、大旅籠でもあった。
『大井村庄屋古屋家』は、豪壮な土塀の防火建築を残している。
『市神神社』は、毎年正月七日「煙草市」が立った。
『大井橋』は、親柱に西行塚をデザインし銅版の「木曽街道六十九次」がある。

寺坂の石仏群
大井宿 林本陣跡
林本陣跡 [拡大表示]
大井宿の宿並
大井村庄屋古屋家
大井橋

 初夏のような日差しの中であったが、のんびりとした東美濃路の(半日)旅であった。
チット早いが駅前の食堂で生ビールと定食で昼飯を済ませ、中央西線で名古屋に出る。

久しぶりの名古屋なので駅周辺の散策に出かけたが・・・ことのほか日差しが強く暑さに負け早々に散策を諦める。 新幹線に乗り東京へ

中津川宿を7時30分に出発して恵那駅に11時10分に到着。所要時間3時間40分(休憩時間10分)、実歩行時間3時間30分、実歩行距離11.4km、歩速約3.26km/時である。



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