山ねずみが歩く
『 中 山 道 』
《19日目》 2017年9月15日
太田宿 ~(日本ライン)~ 鵜沼宿
~(犬山城散策)
道中行程
行 程 美濃太田駅 → 太田宿 →(日本ライン)→ 鵜沼宿 → 名鉄鵜沼宿駅 = 名鉄犬山駅 →(犬山城散策)→ 名鉄犬山駅 = 名古屋駅
距離・時間 11.1km / 3時間30分 (犬山城散策は除く)

 今日は太田宿から日本ライン沿いに鵜沼宿までの美濃路を歩く旅である。

太田駅前のホテルを出て昨日の太田宿に戻る。早朝の太田宿を西に向かい、国道41号線高架を潜り太田宿の京口「虚空堂」に出て、ここから木曽川の土手道を歩く。


《 太田宿から鵜沼宿までの旅 》

 木曽川の土手道をしばらく進み「一色橋」の所で木曽川を一旦離れ国道21号線(中山道)にでる。国道沿いに「パジェロ製造工場」前を通り坂祝町役場前から再び木曽川の土手道に戻る。 日本ラインロマンチック街道と呼ばれる土手道を歩く。
勝山の信号手前で再び国道(右手には日本ラインの流)に戻る。次に信号の先右手の崖道を上ると「岩屋観音」がある。崖道を下り国道に戻り、暫らく歩き「うとう峠」の登り口である国道高架下の暗橋を潜り「うとう峠」の山道に入る。 この道は「日本ラインうぬまの森」のハイキングコースで、「うとう峠の一里塚」を通り県道にでる。

『虚空堂』は、この辺りは「大井戸の渡し跡」で大井宿京(西)口であった。
『ロマンチック街道』は、坂祝町役場前交差点から勝山交差点間は木曽川の土手道を歩く。この道は日本ラインロマンチック街道と命名され、飛騨木曽川国定公園の景勝地。
『日本ライン』は、日本八景のひとつに数えられ、岐阜県美濃加茂市から愛知県犬山市にかけての木曽川沿岸の峡谷の別称。風景がライン川に似ていることから、志賀重昂によって命名。 全長13kmにわたって渓流の美しさを味わいながら、約1時間半の川下り遊覧「日本ライン下り」ができる。
『岩屋観音』は、岩窟内に石造「岩屋観世音菩薩」が安置されている。旅人達に篤く信仰された、観音坂は皇女和宮降嫁通行の際、一尺五寸拡幅された。
『うとう峠』は、以前の中山道は木曽川沿いに可児から犬山に抜けていたが危険な為、慶安四年(1651)「うとう」の峠道が開削された。
『うとう峠の一里塚』は、両塚を残している、江戸日本橋より丁度100里目。

太田宿の京口「虚空堂」
木曽川の土手道
木曽川の土手道 [拡大表示]
国道21号線(中山道)
日本ライン・ロマンチック街道
景勝 日本ライン
岩屋観音から日本ライン
岩屋観音 [拡大表示]
国道21号線を潜る
うとう峠の道(うぬまの森)

《 六十九次之内五十二 鵜沼宿 》

 うとう峠のから県道に出て農業用水用の合戸池を1/3程巡り、鵜沼宿に通じる「天王坂」を下って行く、この坂途中から「犬山城」が遠望できる。
坂を下りきると「赤坂地蔵堂」「高札場跡」などがあり鵜沼宿の入口である。「尾州領傍示石」「鵜沼宿町屋館」など鵜沼宿は綺麗に整備されているが昔の面影は少ない。 「二宮神社」を過ぎると宿場も終わりである。宿外れにある「中山道鵜沼宿碑」を左に曲がり、名鉄鵜沼宿駅に向う。

『鵜沼宿』は、慶安四年(1651)うとう峠が開削され、新設された宿場、古代から東山道の駅が置かれ交通経済の要衝であったが、明治24年の濃尾大地震で壊滅的な被害を受けてしまった。
天保十四年の中山道宿村大概帳によれば、宿内家数は六十八軒、うち本陣一、脇本陣一、旅籠二十五軒で宿内人口は二百四十六人であった。

天王坂より犬山城を遠望(渓斎英泉画)
鵜沼宿 [拡大表示]

『天王坂より犬山城遠望』は、江戸方面から来ると街道正面に犬山城が遠望できる。
『尾州領傍示石』は、鵜沼中山道交差点の東に「是より東尾州領」西に「是より西尾州領」の傍示石が移設されている。
『菊川酒造』は、創業明治四年 銘酒「美濃地酒篝火」の蔵元。
『鵜沼宿町屋館』は、旧旅籠絹屋跡、裏庭に芭蕉句碑がある。
『坂井脇本陣跡』は、芭蕉句碑がある。芭蕉は三度滞在している。
『二宮神社』は、村社、円墳の上に鎮座している。石垣には横穴式石室を残している。

天王坂より犬山城を遠望
犬山城を遠望 [拡大表示]
鵜沼宿高札場
鵜沼宿 大案寺大橋
菊川酒造
鵜沼宿坂井脇本陣跡
二宮神社

《 犬山城と木曽川の鵜飼 》

 鵜沼宿を後に名鉄鵜沼駅まで歩き、名鉄犬山駅まで電車に乗る。犬山駅から観光客で賑わう「本町通り」をぶらぶら歩き犬山城前広場にでる。
針綱神社から天守閣に続く石畳の急坂を上り「犬山城岩坂門」にでる。岩坂門をくぐり広場にでると目の前に天守閣が迫ってくる。天守閣見学の前に茶店で「きしめん」を食べる。 天守の急な階段(梯子みたいな)を上り最上階の欄干から木曽川、城下を眺める。

 犬山城天守閣の見学の後、木曽川の堤防沿いを散策する。丁度、鵜飼船が川面に浮かんでおり、近くから「女性初の鵜匠」を見ることができた。
2時間半程の散策を終え、喉が渇いたので甘味処で「氷あづき」(今夏初めて)を食べ、郷瀬川沿いの城見歩道通り犬山駅に戻る。

《 国宝 犬山城 》

 犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文六年(1537)に木之下城を移築して築城したと伝えられている。 こののち江戸時代初期にかけて城主はめまぐるしく入れ替わった。
 天正十二年(1584)小牧・長久手合戦の際には羽柴秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦った。 江戸時代になり、元和三年(1617)尾張藩付家老、成瀬正成が城主となり幕末まで代々受け継いた。
 明治維新に廃城となり、天守を除いて櫓や門の大部分は取り壊され公園となり現在に至っている。 天守は昭和10年に国宝に指定された。天守の創建年代は天正の頃(1573~92)、慶長五年(1600)などの説があり、現存する天守の中では最古のものと言われている。

犬山城前
城門前の坂道入口
犬山城岩坂門
犬山城天守閣正面
犬山城本丸広場 [拡大表示]
天守閣内部
天守より木曽川ライン大橋
天守より本丸広場と城下町
初秋の空に聳える「国宝」犬山城天守閣
聳える天守閣 [拡大表示]
犬山城散策路
木曽川遊歩道から犬山城天守閣
木曽川遊歩道から犬山城 [拡大表示]

《 木曽川の鵜飼 》

 鵜飼は、美濃国では大宝二年(702)の各務郡中里の戸籍「鵜養部目都良売(うかいべめづらめ)」の記述が最も古い資料です。
この資料から木曽川うかいの起源は、今より1300年前と考えられています。犬山では、今から340余年前に犬山城3代目城主成瀬正親公が御料鵜飼として始められ鵜匠を保護したと言われています。 昔は漁として行っていたため、満月・水の濁ったときは鵜飼をとりやめていましたが、明治42年頃より観光を取り入れて行っているため、増水・台風時以外のときは行われています。

木曽川の鵜飼舟
木曽川の鵜飼舟
女性初の鵜匠
女性初の鵜匠 [拡大表示]

 薄日が射す程度の天気、順調に歩が進み、予定より早く鵜沼宿に着くことができた。おまけに念願の犬山城の見物も叶い万々歳である。名鉄犬山駅から名古屋に出て新幹線で東京へ

美濃太田駅前のホテルを7時30分に出発して名鉄鵜沼駅に11時00分に到着。所要時間3時間30分(休憩時間15分)、実歩行時間3時間15分、実歩行距離11.1km、歩速約3.41km/時である。



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