山ねずみが歩く
『 中 山 道 』
《23日目》 2018年4月2日
醒井宿 ~ 番場宿 ~ 摺針峠 ~ 鳥居本宿
~(彦根城散策)
道中行程
行 程 米原駅 = 醒ヶ井駅 → 醒井宿番場宿 →(摺針峠)→ 鳥居本宿 → 鳥居本駅 = 彦根駅(泊)(彦根城でお花見)
距離・時間 9.5km / 3時間 (彦根城散策は除く)

 この季節、10日以上も晴の日が続くのはめずらしいとのこと。東京の桜も散りはじめ、予定を早めて「中山道の旅」に出かける。

新幹線で米原駅へ東海道本線に乗り換え、乗降客が1、2人の醒ヶ井駅に降り立つ。今日は山間の旧中山道の旅である。


《 醒井宿から番場宿への道 》

 番場宿まで4キロ程の行程である。駅前の国道21号線を横断して一旦旧道(中山道)に入り再び国道に出る。「一類狐魂等衆碑」「壬申の乱横川の古戦場跡」を通り、再び旧道を入り樋口の立場後付近を暫く歩くと「北陸自動車道」米原JCTにぶつかる。
自動車道を横断すると「久禮の一里塚跡」がある。
一里塚跡を右に進み桜咲く楓並木の旧道を番場宿へと辿る。

『一類狐魂等衆碑』は、母を慕い行き倒れた老人に乳をふくませると、安らかに往生した。
『壬申の乱横川の古戦場跡』は、壬申の乱のとき、東に大海人皇子軍、西に大友皇子軍が対峙した。両軍の本隊が激突し、大友皇子軍が敗れた古戦場跡である。
『久禮の一里塚碑』は、江戸日本橋より百十七里目、本来の塚は100m程京よりにあった。右に番場宿へ。

一類狐魂等衆碑と古戦場跡
中山道河南標識 右に番場宿へ
枝垂桜咲く番場宿への道(左奥はアイリスオオヤマの工場)
久禮の一里塚跡を右へ [拡大表示]

《 六十九次之内六十二 番場宿 》

 枝垂桜と楓の古木が混ざる山裾の旧道を行くと番場宿である。米原道分岐点がある静かな佇まいの宿場である。 「蓮華寺」は旧道を左に曲がり高速道路を潜った先にある。

『番場宿』は、慶長八年(1603)番場宿本陣を勤める北村源十郎は彦根藩の命によって琵琶湖に米原湊を築き、次いで慶長十六年(1611)湊と中山道を結ぶ米原道を開削した、これにより番場宿は大いに賑わった。
天保十四年の中山道宿村大概帳によれば、宿内家数は百七十八軒、うち本陣一、脇本陣一、問屋六、旅籠十軒で宿内人口は八百八人で彦根藩領であった。

番場宿(歌川広重画)
番場宿 [拡大表示]

『番場宿問屋場跡』は、米原湊を控えた番場宿は物資輸送の要となり、最盛期には問屋場が六軒あった。
『手差し道標』は、「米原汽車汽船道」、琵琶湖線が開通した明治二十二年(1889)以降のもの。
『番場宿本陣跡』は、北村家が勤め問屋を兼ねた。明治天皇番場御小休所碑がある。
『蓮華寺』は、元弘三年(1333)反鎌倉幕府勢力(後醍醐天皇)方に寝返った足利尊氏に敗れ、京を追われた六波羅探題北条仲時はここ番場まで逃れたが朝廷軍に包囲され、本堂前庭にて四百三十二人全員が自刃した。 境内には長谷川伸の「瞼の母」に登場する番場の忠太郎に由来する忠太郎地蔵がある。

番場宿問屋場跡
番場宿の宿並
中山道番場宿碑
番場宿手差し道標
「武士(もののふ)の霊を弔う」桜咲く蓮華寺
桜咲く蓮華寺 [拡大表示]

《 番場宿から鳥居本宿への道 》

 番場宿から鳥居本宿まで5キロ程である。番場宿を出ると名神高速道路沿いの旧道を摺針峠に向かう。最初は畑の中の道を行くが、高速道路のトンネルが近くなると坂道となる。トンネルの頂上が小摺針峠で米原市と彦根市の境となっている。
小摺針峠を過ぎ中山道道標を右に進み摺針峠への道を辿る。急坂を登り切ると桜が満開の「摺針峠」である。「明神宮」に参拝して「望湖堂跡」から琵琶湖方面の眺望を楽しんだ後、鳥居本宿へと峠道を下る。

『神明神宮』は、ここが「中山道第一の景勝地」といわれた摺針峠、修行に耐え切れず逃げ出した少年(後の弘法大師)は斧を石で摺る老婆に出会う。聞くと「針」をつくるという。 少年は己の未熟を悟り、再び修行に励んだ。この老婆を祀っている。
『望湖堂跡』 は、茶屋本陣の格式を備えた大きな茶屋があった。参勤の諸大名、朝鮮通信使、皇女和宮が立ち寄り琵琶湖の絶景を楽しみ、「するはり餅」に舌鼓を打った。

名神高速沿い道
名神高速沿い道
旧摺針村分岐
摺針峠神明神宮
神明神宮望湖堂跡からの遠く琵琶湖を望む
神明神宮からの遠く琵琶湖 [拡大表示]

《 六十九次之内六十三 鳥居本宿 》

 摺針峠を下り国道8号線(京都から福井・金沢をへてに新潟まで国道)に一旦合流、すぐに脇道(旧道)に入ると「鳥居本宿」である。 静かな佇まいの鳥居本宿を「赤玉神教丸」「合羽所」「本陣跡」などを散策、昭和の面影が残る駅舎の近江鉄道鳥居本駅に着く。 40分程待たされ彦根行の「ガチャコン電車」に乗る。

『鳥居本宿』は、鳥居本の地名はかって宿内にあった多賀大社の鳥居に由来している。 朝鮮人街道や北国街道の分岐、彦根城下に通じる要衝として栄え、大いに賑わった、鳥居本宿の名物赤玉、西瓜、合羽(柿渋の赤)は「三つの赤」といわれた。
天保十四年の中山道宿村大概帳によれば、宿内家数は二百九十三軒、うち本陣一、脇本陣二、問屋一、旅籠三十五軒で宿内人口は千四百四十八人、宿高百十五石で彦根藩領であった。

鳥居本宿(歌川広重画)
鳥居本宿 [拡大表示]

『赤玉神教丸有川家』は、万治元年(1658)創業。多賀大社延命長寿の神の教えによる「神教丸」は下痢、食あたり、腹痛の妙薬。
『旧旅籠米屋』は、旅籠の岩根治右衛門は井伊直弼より「自然斎」を賜った絵付師。湖東焼きの絵付けを行った。
『鳥居本宿本陣跡』は、寺村家が勤めた。本陣門が倉庫の扉になっている。
『鳥居本駅舎』は、明治29年に彦根、貴生川間の区間で開業した近江鉄道に、その後、昭和六年に彦根、米原間も開業し、同時に鳥居本駅舎も建築された。 その後、建て替えられたが、今も建設当時の全国の平均的な建築様式をそのまま継承している。

鳥居本宿の宿並
鳥居本宿 赤玉神教丸有川家
鳥居本宿 旧旅籠米屋
桜咲く鳥居本宿本陣跡
昭和の面影を残す鳥居本駅舎

《 彦根城でお花見 》

 丁度、昼飯時、駅前のうどん屋で「近江牛すね肉カレーうどん」を食べ、彦根城へお花見に出陣・・
彦根城は満開の桜、多くの人で賑わい、天守登櫓に30分待ちの混雑である。(残念ながら ひこにゃん には会えなかった!)
本丸から西の丸、黒門橋から楽々園、玄宮園をのんびりと散策。桜が美しい内掘沿いに大手門まで足を伸ばし、埋木舎に立ち寄りホテルに戻る。

彦根駅前の井伊直政公像

《 国宝 彦根城 》 

 関ヶ原の合戦で、石田三成が敗北すると、徳川譜代筆頭の井伊氏が、その本拠地に配され、石田三成の佐和山城にかえて、慶長9年(1604)より着工されました。近くの彦根山に城を築いた。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。
 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。

 現在は、平成8年には築城以来5回目の大改修が完了。天守の34種類約6万枚にも及ぶ屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが中心に行われ、現代に美しく蘇っています。 また、天守は国宝で、彦根城の周囲は特別史跡に指定されています。内堀の外側は高禄の藩士の居住地。家老を勤めた家柄西郷家の大きな門が現存する。
また、広大な庭園「玄宮園」も往時の姿を伝えている。佐和口側には井伊直弼が部屋住み時代に過ごした埋木舎が存在する。

『大堀切・天秤櫓』は、大手門と表門からの両坂を登りつめたところにある。廊下橋(戦時には落とすと伝わる)に接続する櫓門部分を中央に、両坂道に面して多聞櫓の角を二重櫓とすることで、左右対称となっており、天秤櫓の由来となっている。
『太鼓門櫓』は、天守がある本丸表口を固める櫓門で、城内合図の太鼓を置いたところから名付けたられた。
『彦根城天守閣』は、関ヶ原合戦で耐え抜いた大津城から移築されたといわれ、慶長十二年(1607)頃に完成。昭和27年に国宝に指定。
『西の丸三重櫓』は、西の丸に建つ櫓で、さらに西に張り出した出曲輪との間に深い堀切を設け、西方の搦め手からの敵に備えた。
『玄宮楽々園』は、玄宮園は下屋敷である槻御殿(楽々園)に伴う後園として江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園。中央に掘られた池泉には大小4つの中島が築かれ、様々な形式の橋が架けられて自由に回遊性を確保するとともに庭園内の景観にもなっている。
『埋木舎』は、井伊直弼は文化十二年(1815)、十一代藩主直中の十四男として槻御殿で生まれた。他家を継ぐなどの機会に恵まれなかった直弼は、父の死とともに槻御殿から中堀に面した尾末町の屋敷に移った。 彼は「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身」という和歌を詠み、自らのこの屋敷を「埋木舎」と名付けた。

彦根城佐和口
廊下橋と天秤楼
太鼓丸
桜咲く 「国宝」彦根城天守閣
国宝彦根城天守閣 [拡大表示]
西の丸から遠く琵琶湖
西の丸三重櫓

『ひこにゃん』
彦根藩二代当主である井伊直孝をお寺(豪徳寺)の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる"招き猫”と、 井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクター。

黒門橋手前より内掘の桜
黒門橋より内掘の桜 [拡大表示]
玄宮楽々園
玄宮園より天守閣を望む
玄宮園より天守閣 [拡大表示]
玄宮楽々園(池泉回遊式庭園)
玄宮楽々園 [拡大表示]
玄宮園出口付近
直弼所縁の埋木舎
大手門橋の満開の桜と屋形舟
大手門付近の桜 [拡大表示]
京橋口の桜

 朝晩は肌寒いが、日中は初夏の陽気。東近江路の旅とおまけに彦根城でお花見が出来て(本物のひこにゃんには会えなかったが)、春を満喫した一日であった・・・

醒ヶ井駅を8時45分に出発して鳥居本駅に11時45分に到着。所要時間3時間(休憩時間20分)、実歩行時間2時間40分、実歩行距離9.5km、歩速約3.6km/時である。



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