遠い昔の思い出
親子で奥秩父縦走
山行日:1961年7月17日~23日
地 域:奥秩父
標 高:雲取山(2017m) 甲武信岳(2475m)
    国師岳(2592m) 金峰山(2599m)
【1日目】

氷川駅=鴨沢→堂所→ブナ坂→小雲取山→巻道→雲取山荘(泊)
【2日目】

雲取山荘→雲取山→三条ダルミ→飛竜権現→将監峠→笠取小屋(泊)
【3日目】笠取小屋→雁峠→古礼山→雁坂峠→雁坂小屋(泊)
【4日目】雁坂小屋→雁坂峠→雁坂嶺→破風山→甲武信小屋(泊)
【5日目】甲武信小屋→甲武信岳→東梓→国師岳→大弛小屋(泊)
【6日目】

大弛小屋→大弛峠→朝日岳→金峰山→大日岩→富士見平→増富鉱泉(泊)
【7日目】増富鉱泉=韮崎駅

 我輩が高2のとき親父に連れられての本格的な山旅であった。計画では4泊5日の予定であったが、天候が悪かったり、帰りに温泉に泊ったりして結局6泊7日の山旅になってしまった。
昔の山小屋は自炊が当たり前で飯盒、米、玉葱、じゃがいも、味噌、缶詰などの16~18kgあるザックを背負ってのかなりキツイ登山である。


 【 1日目 】

 青梅線の氷川駅(現在の奥多摩駅)から丹波行のバスに乗り鴨沢で下車。
鴨沢バス停から直ぐに登りになり、尾根の山腹をまわりて小袖川沿いの道に出て(この年の2年前に三峰から雲取山を歩いた時の下った道である)登って行く、2軒ほどある小袖部落の民家前(現在は無い)を通り尾根道をダラダラと登ると少し平坦なった堂所に着く。
堂所で一休みしてから再び、単調で急な登りが暫く続く。七ッ石小屋の下から左へ七ッ石山を大きく巻いてブナ坂に出る。ここで大休止する。

 ブナ坂は七ッ石山直下のブナの囲まれた鞍部である。ここからは防火線になっている広い尾根道を登る。ヘリポートのある広場を過ぎ雲取奥多摩小屋に出る。
ここから急な道を登り小雲取山に出る。かなりくたびれていたので雲取山頂に登らず右に巻道を通て今夜の宿雲取山荘に出る。親父も我輩も疲労困ぱいである。

 【 2日目 】

 夜明け共に起き、飯盒で炊いた飯と味噌汁、缶詰で朝食をとり、早々に山荘を出発。
 山頂への急な道を30分ほど登り雲取山々頂に出る。東京都の最高峰である山頂からは富士山、奥多摩、丹沢の山々、これから歩く奥秩父主脈が眺められる。
 雲取山を後にしていよいよ奥秩父主脈縦走の始まりである。山頂から西に急坂を三条ダルミに下る。 ここから起伏の少ない尾根道を行き北天のタルを通り、ときおり桟橋を渡りながらの緩い登りで飛竜権現に出る。 縦走路をさらに進むと展望の良い禿岩に着く。ここで一休みしてから原生林の中をひとしきり下ると、大ダルの鞍部に着く。
大ダルからは尾根を巻くようにカラマツ林をゆっくり下ってゆくと、草原の広がる将監峠に出る。
将監小屋、牛王院平のカヤトの原を通り、笠取小屋までは巻道が続く。尾根を何本も巻き、谷の源頭を渡り原生林の中を暫く行くと、長い巻道が終わりカラマツ林に入ると今夜の宿笠取小屋に出る。
泊客が我々だけだったので、小屋の親父がドラム缶風呂を沸かしてくれて入浴する。

親父(雲取山頂)
我輩(雲取山頂)

 【 3日目 】

 朝起きたら小雨降っており生憎の天気である。とりあえず今日は雁坂峠まで行き、天候が良くなれば甲武信小屋までの予定で小屋を出る。
 小屋を出て幅広い道を登って行き草原状の台地に出る。右に笠取山への道を分けに雁峠に着く。
ここから尾根づたいの登り道となり古礼山に着く、暫く行くと水晶山である。 相変わらず小雨が降る樹林帯の尾根道を行くと、ガスの中から突然、雁坂峠が現れる。
雨が止みそうにないので今日はここまでとして、峠から秩父側に10分ぐらい下った所にある雁坂小屋に泊ることにする。


 【 4日目 】

 昨日の雨も止み、時折薄日の射す高曇りの天気である。小屋を出て雁坂峠に登る。
日本三大峠の1つ雁坂峠は秩父往還として古い歴史をもつ、南側には草の斜面が広がり、国師岳や南アルプスなど見える筈であるが、富士山がわずかに見えるだけである。
峠からは急な尾根道を、前年の狩野川台風による倒木の中を雁坂嶺に辿り着く。樹林帯を下って急な道を登り返せば東破風山、そして岩の間をぬいながら稜線を緩く登ると西破風山である。
西破風山からは岩の多い急な道を下ると避難小屋のある笹平にでる。 ここからはまた樹林帯の登り道となり、シャクナゲが現れると平坦になり、木賊山の右を巻いて甲武信小屋に出る。
今夜も登山客が少なかったせいか、またもや貴重な風呂に入れてもらう。(尾根筋にある為、水場は西沢の源頭まで下り往復25分くらいかかる)

親父(雁坂峠)
我輩(雁坂峠)
雁坂嶺より富士山
雁坂嶺より富士山 [拡大表示]

 【 5日目 】

 今日は天気はよさそうである。薪ストーブの飯盒の飯も炊け、味噌汁を造り朝飯を食べ、早々小屋を出発する。
 小屋から甲武信岳まで急な登りを20分ほどかけて黒百合が一輪咲いている頂上にでる。甲武信岳(甲州・武州・信州の三国の境)の頂きからのは、これから歩く黒木におおわれた国師岳への尾根と、遠く金峰山が見渡すことができる。
 山頂で十文字峠への道を分け、ガラガラの尾根を西へ下る。樹林帯に入り、千曲川源流への下降路を分け、登り下りの道を水師を通り富士見台にでる。奥秩父特有の樹林帯の道を進み東梓を越えると国師のタルで、ここから国師までの長い登りが続く。
登り下りを繰り返し、やがて岩のピークを越すと国師岳山頂も見えてくる。左から天狗尾根を合わせると、まもなくして大きな岩がゴロゴロする国師岳山頂に辿り着く。
目の前に奥秩父最高の北奥千丈岳(2600m)の頭が見える。頂上から西に下り、ハイマツと石楠花と岩が入り混た「夢想国師の庭園」に寄り道し、今夜の宿大弛小屋へと下る。

甲武信岳山頂より国師岳と金峰山
甲武信岳山頂より [拡大表示]
親父(国師岳山頂)
我輩(国師岳山頂)

 【 6日目 】

 快晴の朝、小屋を出て大弛峠の林道を横切って、樹林帯の尾根道を登り朝日峠につく。そこから暫く行くと岩の積み重なった尾根にでて、再び林の中を登り朝日岳に出る。 行く手に金峰山の堂々たる山容が見え、森林帯から灌木に変わり、賽の河原からは砂礫と巨岩の積み重なった岩稜となる。しばらく行くと奥秩父縦走の最後のピークである金峰山頂上に着く。
目の前に五丈岩、後方には八ヶ岳から南アルプスが望まれる。五丈岩の前で登山者の皆さんと記念写真を撮る。
 五丈岩からは急なガレ場の千代の吹上砂払い頭を通り、樹林帯の道を急降下する。大日岩を越すと尾根から別れ林の中を下って行く。 大日小屋を過ぎ原生林を抜け飯盛山を巻いて、明るく広けた尾根筋を下り富士見平に出る。瑞牆山への道を分け、ひとしきり下って瑞牆山荘に着く。
 ここから車道となり金山高原に出る。沢沿いの車道をダラダラと疲れた足で暫く行くと増富鉱泉である。 かなり疲れ果てていたのと、これから長い時間を懸けてバスと汽車に乗る事を考えるとウンザリする、そこで増富鉱泉に泊ることする。
増富鉱泉はラジュウム鉱泉(我国で有数のラジュウム鉱泉である)で、温めの風呂に浸かり、岩魚の塩焼き付の久しぶりの真面な夕飯にありつくことが出来た。
(今になって思うと、昔の山小屋は自炊のため、真面な飯に有り付けない、下界に下りたら、中華ソバを食べたい、寿司が食べたいとか思いながら山道を歩いていた。)

朝日岳より金峰山
朝日岳より金峰山 [拡大表示]
金峰山頂より五丈岩
金峰山頂より五丈岩 [拡大表示]
五丈岩を前で皆さんと記念写真
五丈岩の前で記念写真 [拡大表示]
瑞牆山荘付近の原生林を行く
原生林を行く [拡大表示]
富士見平で休憩

 【 7日目 】

 風呂に入り、真面な飯を食い、布団での睡眠、多少なりとも疲れがとれた朝。増富鉱泉からバスで韮崎に出て、中央線で帰途につく。

この奥秩父縦走は6泊7日の長い山旅であったが、いろいろな出会もあり、今振り返ると良い思い出である。



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