山旅日記

小金沢連稜
山行日:2013年8月28日~29日
山 域:小金沢連稜
標 高:大菩薩峠(1897m) 黒 岳(1988m)
    小金沢山(2014m)
 【1日目】8月28日
 新宿駅=塩山駅=裂石
 裂 石10:00
 長兵衛小屋12:15
 福ちゃん荘12:40-12:45
 雷 岩14:25-14:45
 大菩薩峠 介山荘(泊)15:40
 【2日目】8月29日
 大菩薩峠06:30
 石丸峠07:00
 狼 平07:30
 小金沢山08:25-08:35
 牛奥ノ雁ガ腹摺山09:15-09:25
 黒 岳10:40-10:45
 湯ノ沢峠11:30-12:10
 田野鉱泉
 甲斐大和駅

15:10


牛奥ノ雁ヶ腹摺山頂より富士山を望む

 小金沢連稜は、大菩薩峠から笹子峠まで南に長くのびる標高が2000m~1300mの連稜(尾根)で、正面に富士山を眺められる展望に恵まれた縦走コースである。
我輩は今年の春から、『甲州道中』を歩き始めたのだが、地図を見ているうちに小金沢連稜を歩きたくなった訳である。


【 1日目 】

 今年の猛暑も一段落の兆し、だがまだ暑い日々が続く、大菩薩峠には5~6回ほど登っのに、何故か小金沢連稜には1度も歩いていない。

大菩薩峠登山口バス停(900m)から雲峰寺の前の林道を千石茶屋に、ここから林道と別れて山道を上日川峠まで歩く、暑い暑い!!
昔、大菩薩峠登山と言えば夜行日帰りでこの道を懐中電灯の明かりを頼りに歩いたものである。 上日川峠から車を福ちゃん荘まで歩く、福ちゃん荘の前のベンチで昼飯にする。

福ちゃん荘からは唐松尾根を登り雷岩へ、雷岩からは展望の良い尾根道をのんびり歩いて『大菩薩峠』(1892m) に、今日はここまでだ!
峠のお花畑は鹿に食べ荒されのか秋の花が1本も見当たらなかった。
介山荘 は30年以上前に泊まったことがあり、当時は石油ランプの小屋であったことを思い出す。 個室に入れてもらったので今夜はゆっくり眠れそうだ。

大菩薩峠登山口(裂石バス停)
長兵衛小屋
大菩薩峠・熊沢山方面
大菩薩峠・熊沢山方面 [拡大表示]
大菩薩峠と介山荘
大菩薩峠頂上 [拡大表示]
甲府盆地の夜景
甲府盆地の夜景 [拡大表示]

【 2日目 】

 今日はすがすがしい朝である。介山荘から熊沢山を越え富士山を見ながら石丸峠へ、石丸峠(1957m)は上日川峠へ道と小菅の下る牛ノ寝通り道が交差する峠である。
峠からは東の天狗棚山を巻き気味に越え、カヤトと熊ざさの生茂る広々とした 狼 平 に着く。 100年以前にはこの辺りを狼の群が彷徨していたのではないか? と想像すると楽しい。

ここから黒木のおい茂る森林帯の歩きにくい登りとなり、やがて今日の目的の山、小金沢山に到着する。
『小金沢山』の標高は来年と同じ 2014m(年)(正確には0.3m高い)である。 頂上の開けた所から三ツ峠山や富士山が遠望できる。

笹の道を下り、森林に入ると再び登りととなり長い名前が付いている 牛奥ノ雁ガ腹摺山(1985m)につく。

南アルプス北部の山並み
朝の大菩薩峠 [拡大表示]
石丸峠
石丸峠より富士山と小金沢山
石丸峠より富士山 [拡大表示]
大菩薩湖を俯瞰
大菩薩湖を俯瞰 [拡大表示]
狼平から小金沢山の登り
狼平と小金沢山 [拡大表示]
小金沢山山頂の我輩

 林を抜けると笹原の鞍部に出る、森林をぬって登ると笹原の川胡桃沢ノ頭で、この辺は黒木とブナの森林となっていて深山に分けいた気分に浸ることができる。

しばらく林の道を行く今日最後のピーク 『黒 岳』(1988m) につくが、立ち木に囲まれ展望の無い静か山頂である。

そこを少し下りまた登ると白岩ガ丸にでる。ここからは雲が無ければ富士山が見えるはず、南に笹子峠への尾根筋を見渡すことができる。
ここからは湯ノ沢峠への下りである。白ザレの道、砂礫と岩の間を苦労して下る。

湯ノ沢峠(1687m)から少し行たところに避難小屋がある。 驚いた事に電気が通じ、布団もある避難小屋。
ちょうど昼飯時、お湯を沸かしコーヒーと即席パスタで昼飯。

牛奥ノ雁ガ腹摺山山頂
牛奥ノ雁ガ腹摺山 [拡大表示]
マルハダケブキが咲く黒岳への道
黒岳への道 [拡大表示]
黒岳山頂
黒岳山頂 [拡大表示]
湯ノ沢峠
湯ノ沢峠 [拡大表示]
湯ノ沢峠

湯ノ沢峠からは沢沿いの山道を歩き、途中から林道と合流して甲斐大和駅まで、日川沿に長い長い舗装道路をひたすらテクテク歩く。 西日に向かっての長い林道歩きは、結構キツイものがある。

武田勝頼ゆかりの寺『景徳院』の門前で小休止(湧き水でのどを潤す)。

そこから程なくして、甲斐大和駅 に無事到着する。

『地理と歴史の時間』

★日 川 は笛吹(ふえふき)川の支流。「にっかわ」ともよばれる。大菩薩嶺付近に源流をもち、断層線に沿って花崗閃緑岩地帯を南に流れ、 中央本線甲斐大和付近に達し、西に流れを転じ、日川扇状地を形成、笛吹市一宮付近で笛吹川に合流する。
中流の田野から天目山にかけては武田勝頼の終焉の地として知られる。また嵯峨塩鉱泉、田野鉱泉などがある。
★土屋惣蔵片手千人切 とは、織田軍の追っ手を逃れ勝頼一族は田野より先の天目山目指し進んで行ったが、 織田軍に行く手を阻まれ先に進むことができなくなり、田野まで引き返した。
この時、家臣土屋惣蔵昌恒は崖道の狭い場所で岩角に身を隠し、片手は藤蔓につかまり、片手には刀を持ち、 敵兵を次々に切っては谷川に蹴落としたと伝えられている。これにより勝頼たちは田野まで戻ることができ、自刃したという。 このような伝説から「土屋惣蔵片手千人切」といわれている。
★景徳院 は、徳川家康がこの地に勝頼の菩提所の創建を命じ、天正16年に完成したのが田野寺で、現在の景徳院である。 伽藍は何度か火災に遭い、最も古いものは安永8年(1779)建立の山門である。境内は武田氏最後の地として県史跡となっている。
★甲斐大和駅 は、開業当初(明治36年)の駅名は初鹿野(はじかの)であったが、初鹿野村がその後、昭和16年に付近の村々と合併し大和村となったが駅名はそのままで、 平成5年に現在の甲斐大和駅へ改称された。 これで駅名と自治体の名前が揃った格好になったが、それもつかの間の平成17年、大和村は附近の市町と合併して甲州市となり、消滅した。

土屋惣蔵片手千人切の碑
景徳院


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