山ねずみが歩く
『 中 山 道 』
《27日目》 2018年5月11日
大津宿 ~(逢坂の関)~(山科・日ノ岡峠)
~ 三条大橋(中山道終着点)
道中行程
行 程 大津宿 →(逢坂の関)→ 山 科 → 日ノ岡峠 → 三条大橋(京阪三条駅)= 京田辺駅
距離・時間 10.6km / 3時間

 今日は大津宿から最終地点「三条大橋」までの「中山道の旅」の最終日 である。
 さぁ~頑張るぞ・・・


《 大津宿から逢阪山 》

 大津駅前のホテルを出発、西近江路(旧東海道)に出て「逢坂山の関所跡」を目指す。「蝉丸神社下社」を通り、京阪電鉄の踏切を渡り国道1号線(東海道)に合流する。 ここから関所跡まで急坂の道がつづく。
関所跡から一旦旧道に入り、再び大谷駅の歩道橋を渡り国道1号線に出る。

『蝉丸神社下社』は、祭神の蝉丸は平安初期の歌人。盲人で琵琶の名人であった。
『逢坂山関跡』(逢坂の関)は、山城国と近江国の国境となっていた関所。
相坂関や合坂関、会坂関などとも書く。東海道と東山道(後の中山道)の2本が逢坂関を越えるため、交通の要となる重要な関であった。その重要性は、平安時代中期(810年)以後には、三関の一つとなっていた事からも見てとれる。 なお、残り二関は不破関と鈴鹿関であり、平安前期までは逢坂関ではなく愛発関が三関の一つであった。
    「 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 」 蝉 丸

    「 夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 」 清少納言

『かねよ』は、峠の茶屋であった。今は鰻料理の老舗。
『月心寺』は、こんこんと湧き出ていた「走井」の姿を残している。走井餅屋であった。明治天皇駐蹕之處碑がある。

蝉丸神社下社
京阪電車の踏切
逢坂山の急坂(国道1号線東海道)
逢坂山の急坂 [拡大表示]
逢坂山関所址
かねよ(峠の茶店跡)
月心寺

《 山科付近 》

 歩道橋を渡り「月心寺」の前を通り国道1号線沿いに歩く、「名神高速」のガードを潜り国道を右に分かれ旧三条通(旧東海道)を山科に向かう。
旧道を行くと奈良街道への追分「追分道標」を右に京へ向かう。暫く行くと再び国道1号線にぶつかる。
国道に架かる歩道橋を渡ると「小関越道標」があり、右に行くと小関越道を経て大津宿に至る。

 京へ入りこむ悪霊を封じた地蔵堂(六角堂山科地蔵)を通り、ビルの立ち並ぶJR山科駅前、京都薬科大学を通り、府道143号線に合流する。
東海道本線ガードを潜り、再び府道143号線と別れ、左に「日ノ岡峠」に向かう旧道に入る。

『追分道標』は、「右京都 左伏見」、脇には「蓮如上人道標」がある。これは枚方の出口御坊光善寺の上人廟への道標。追分の辺りに「ひげ茶屋九左衛門」があった。
『小関越道標』は、「三井観音道小関越」小関越道追分道標と常夜燈がある。定飛脚が建碑。(小関越えとは、本道の逢坂越えを大関に例え、裏道を小関と称したもの)
『徳林庵地蔵堂』は、徳林庵地蔵堂(六角堂山科地蔵)。京の七口に各六体の地蔵を安置し、京へ入りこむ悪霊を封じた。堂脇には道標「伏見六ぢざう道」がある。

名神高速道沿いの道
名神高速の歩道橋から
追分道標(右京都 左伏見) [拡大表示]
小関越道標
ビルが立ち並ぶ山科駅前付近
京都薬科大学付近(旧三条通)

《 日ノ岡付近 》

 人家の間の狭い旧道を行くと、京に向かう最後の峠「日ノ岡峠」の急な登りとなる(わざわざこの狭い道をフェラーリで通り抜ける奴がいた)。
大乗寺の脇を抜け、再び府道143号線(三条通)に合流する。「車石広場」で一休し、三条通を「粟田口刑場跡」「九条山」通り、蹴上に向かう。

日ノ岡峠への道(左に入る)
日ノ岡峠の急坂を振り返る
日ノ岡峠大乗寺入口
車石広場
府道143号線合流 [拡大表示]
粟田口刑場跡

《 蹴上付近 》

 「蹴上浄水場」の赤い煉瓦と鉄格子塀沿いの道を下り、南禅寺方面を右手に見て、都ホテル、粟田口、白川橋を通り三条大橋に向かう。

『蹴上浄水場』は、琵琶湖疏水から引き入れた水をきれいにして,水道水として供給している。
明治中期の京都では井戸水の汚染が問題となっていた。明治45年日本初の急速ろ過式を採用した浄水場が竣工する。また蹴上浄水場といえば,ツツジの名所として知られている。
『粟田神社』は、参道に粟田焼発祥之地碑がある。
『粟田口』は、京七口のひとつで東海道口。この付近には刀匠が住み、「粟田口物」と呼ばれる名刀を輩出した。
『白川橋』は、三条通白川に架かる橋。 また、白 川は、滋賀県と京都府との境に連なる東山の山々のうち比叡山と如意ヶ嶽の間に位置する滋賀県大津市山中町の山麓(俗に「白川山」)に源を発し西へ流れ京都府京都市左京区に入る。 吉田山北東部の鹿ヶ谷付近で南西に転じ、南禅寺の西側で琵琶湖疏水を合わせる。その後、西行し、平安神宮へと続く神宮道の西で琵琶湖疏水と分かれ、東山区に入り知恩院の西側を流れ、四条通の北側で鴨川に合流する。

蹴上浄水場
三条通 粟田口付近
三条通 白川橋

《 三条大橋 》

 足掛三年半(二十七日目)ついに中山道六十三次の終着点『三条大橋』に立つ!!

あ~感無量・・・三条大橋の上から鴨川の流れを見て、江戸日本橋から京三条大橋 (端から端)まで135里24町8間(実際に歩いた距離は571.7km)の長い~「中山道の旅」も終った。 我ながら良く歩いたもである。

『三条大橋』は、鴨川に架かる橋で東海道の出発地・終着地である。橋が架けられた時期は明らかではないが天正十八年(1590年)、豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として石柱の橋に改修された。
江戸時代においては、五街道のひとつ東海道につながる橋として、幕府直轄の公儀橋に位置付けられ、流出のたびごとに幕府の経費で架け替え・修復が行われた。

三条大橋(歌川広重画)
三条大橋 [拡大表示]

現在の橋本体は2車線、歩道付のコンクリート製で昭和25年に作られ、木製欄干は昭和48年に更新されたが老朽化やシロアリなどの被害で劣化が激しく、橋を管理する京都市は欄干の取り換えだけで3億円、歩道の整備を含めると4億円が必要と見積もっており、費用の捻出に苦慮している。
近くには高山彦九郎の像がある。橋上から眺める比叡、北山、東山の峰々は京都らしい景色である。

『鴨 川』(賀茂川)は、京都の顔で代表的な川。北区雲ヶ畑・桟敷岳を源とし南下、上京区出町付近で高野川と合流後、市街地東部を南へ貫通し伏見区下鳥羽で桂川と合流し淀川に入る。全長23キロ。
弘仁五年(814)「日本紀略」に書かれたのが古く、文学や歴史にしばしば登場する。加茂川とも。現在、高野川合流点(出町)以北を賀茂川、以南を鴨川と使い分けられるが、現河川法では全長を鴨川と総称する。
『三条河原』は、鴨川の三条大橋付近の河原。中世には河原は戦場や刑場となり、文禄四年(1595)豊臣秀次の自害後、秀吉が秀次の妻子や侍女をこの河原で処刑したことは有名。
『高山彦九郎正之像』は、尊皇の志篤く、この地で土下座し御所を遥拝した。
高山彦九郎、延享四年(1747)~ 寛政五年(1793)は、江戸時代後期の尊皇思想家である。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人。

高山彦九郎正之像
三条大橋
三条大橋 [拡大表示]
鴨 川(三条河原)
鴨 川(三条河原) [拡大表示]
三条大橋
弥次喜多像

 京田辺市の『 酬恩庵一休寺 』を散策

 鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師が中国の虚堂和尚に禅を学び帰朝後禅の道場をここに建てたの始まりである。
その後元弘の戦火にかかり復興ならず、六代の法孫にあたる一休禅師が康正年中(1455‐56年)宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩に酬いる意味で「酬恩庵」と命名した。
 禅師はここで後半生を送り81歳で大徳寺住職となった時のこの寺より通われた。禅師が晩年を過ごされたことから「一休寺」通称されようなった。

 一休禅師(一休さん)は、応永元年(1394年)正月元旦に、後小松天皇と、宮仕えしていた日野中納言の娘照子姫との間に生まれました。 本来ならば、時の天皇の子として世継ぎの地位にあったのですが、帝が照子姫をあまりにかわいがるので、それをねたむ者に落とし入れられ、照子姫は一休の生まれる前に宮中を出されたのでした。 そのため一休は、洛西嵯峨の民家で誕生しています。 一休さんが6才の頃、その将来を僧侶にと願った母の考えにより、禅宗の臨済宗安国寺(京都)の像外鑑公和尚のもとに出家したのでした。

   「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 一休禅師


  一休さん
一休寺山門
一休寺庫裏
一休寺方丈
一休寺方丈 [拡大表示]
一休寺方丈北庭
一休寺方丈北庭 [拡大表示]
一休禅師像

 蛇足ですが! 『 伊能忠敬 今年没後200年 』

 伊能忠敬(1745-1818)は延享二年、現在の千葉県山武郡九十九里町で生まれた。17歳で千葉県香取市佐原の伊能家に婿入りして当主となり、家業はもちろん、村のために名主や村方後見として活躍した。
その後、長男の景敬に家督を譲り隠居。興味があった天文学を学ぼうと50歳で江戸に出る。それから55歳から71歳まで、10回にわたり測量を行い、「大日本沿海輿地全図」を完成させる。その精度はとても高く、欧州でも評価され、明治以降は国内の基本図の一翼を担う。
日本地図を完成させたのが隠居後というのも驚きだが、そもそものきっかけが「地球の大きさを知りたかった」という理由である。


 伊能忠敬

「三条大橋」の周りを暫く散策、高山彦九郎像に挨拶をしてから、10数年ぶり親戚を尋ねて京阪三条駅から京田辺に向う。

大津駅前を7時30分に出発して三条大橋に10時30分に到着。所要時間3時間(休憩時間15分)、実歩行時間2時間45分、実歩行距離10.6km、歩速約3.85km/時である。



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